今に始まったことではないですが、本屋で平積みしてある本を眺めていくと、解説本やマニュアル本が多いですね。特に、村上春樹さんの「1Q84」の解説本だったり、iPhone完全仕事活用術!!、googleスケジュール完全マニュアル・・・。話題になったもの、誰かがこれはイイ!!とメディア上で薦めたものには、何冊もの解説本が出ています。解説本の書棚の方が、オリジナルの書棚より多い。
(話は長くなります。だらだら書くので、分かりにくいかもしれません・・・)
誰のために、この解説本が必要なのか?村上春樹の思いを一字一句、行間の隙間の隙間までくまなく理解するため?iPhoneやgoogleのマスターにでもなるためか?たぶん、みんなが言ってること、やってること、テレビで言ってたことを、オレ知ってる!、わたしもつかえる!と、安心するために解説本を買い、読むという意識が実は働いていた人も多いと思います。使いこなせれば、便利ですよ。そこは否定できません。小説を読んで、裏の裏まで読み込めれば、確かに充実した気分になり、もやもや感が残り、またさらに読者の想像が深まります。
そこまでしないといけないのか?解説本を読まないと、使いこなせないものなのか?つまるところ、そもそもそんなものが必要なのか?誰のための解説なのか?・・・、だんだん、誰かが取扱説明書以外に、解説本、マニュアル本を書いてくれないと、少し高度なものは使いこなせなくなっていくのではないかと心配になります。話題の解説本を理解するための解説本まで出るでしょうね。
デザインも少し、解説的な役割をになっている面もあります。普段当たり前だと思っていることを、デザインが加わることで、素敵なものができたり、人体工学、建築計画学などの考えをものとして、建築として、こういう使い方ができます、ここではこんなことをしましょう・・・と、提示する訳です。でも、これからの世の中、デザイナーが考え、出した形にまで解説本がなくては、それがいいものなのか、いいデザインなのか、便利なのか、分からない世の中になるんでしょうか?夢も希望もない感じですね。
誰々のために、このクライアント家族のために、デザイナーと利用対象者がお互い理解というか、共感と言うか、繋がってるときはまったく問題ないでしょうが、iPhoneとかgoogleとか地球上にいるどんな人でも使えるように、デザインの対象を増やせば増やすほど、必要になるんでしょうね。解説は。iPhoneのようにどんどんアップデートされていくとユーザーが追いつけなくなるからという理由もあるのでしょう。それにしても、多すぎです。
ちなみに、ぼくは村上さんの小説呼んだことありません。iPhoneも持ってません。google使ってません!と言いたいところですが、検索はgoogleでします。このblogもgoogleのサービスです。
あんまり、デジタル化、多機能化しすぎると、アナログな触って分かる質感みたいなのがどんどん薄まるようで、iPhoneとか、ちょっと苦手です。
何の話かよくわかりませんが、長い長いひとり言でした。